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Your search : [ author:資料提供 裘明仁 陸炳栄 編集 劉東平 え·魯忠民] Total 206 Search Results,Processed in 0.112 second(s)
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1. 太湖を見るなら無錫
蠡園蠡園は蠡湖(太湖の一部、春秋時代、越の范蠡が西施と舟を浮かべた)の名をとった。広さは6ヘクタール、北部分は石を雲の姿に積み、東は長廊下が湖に臨み、背後の壁には蘇軾等の墨跡が刻まれている。鼋頭渚公園鼋頭渚は太湖に突き出た半島であり、びょうぼうたる湖と、遥に七十二峰を望む絶好の場所である。広さは130ヘクタール、自然の中に人工を配し、鼋頭、澄瀾堂、光明頂、三山などに分かれている。恵山泥人形昔から恵
Author: 資料提供 裘明仁 陸炳栄 編集 劉東平 え·魯忠民 Year 1996 Issue 3 PDF HTML
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2. 呉文化のかおりを伝える 無錫民俗村
今から3200年前、周の太王の子、秦伯(しんはく)と仲雍(ちゅうよう)が梅里、すなわち無錫の梅村に来てこの地を治めた。それが勾呉(こうご)古国の始まりである。勾呉の都だった無錫は太湖と運河が織りなす美景によって、昔から観光客を引きつけてきた。1984年、そこに呉文化公園、別名、無錫民俗村がオープンした。場所は市内から11キロの西高山、定年退職した当地出身の文化人10数人が苦心のすえつくり上げた傑作
Author: 写真 陸炳栄 劉世昭 文 裘明仁 Year 1993 Issue 12 PDF HTML
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3. 常夏の海とグルメ―海南島三亜
「天涯海角にいらっしゃい。ここには何時も春がある……」と歌われる海南島の三亜は歴史の古い町である。秦の始皇帝時代に郡が設けられ、崖州と呼ばれた。三亜、大陂、臨川水の三本の川がここで合流しており、商船はまずここに集まって出航していった。三亜は海南島で二番目に大きな都市であり、港は中国南部の対外貿易で重要な役割をはたしている。全市の面積は約1900平方キロ、延々200キロに及ぶ見事な海岸線に恵まれ、1
Author: 編集·劉東平 絵·魯忠民 Year 1996 Issue 4 PDF HTML
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4. 6新疆 トルファン 早わかりマップ
わたくし、姓は孫、名は悟空、人呼んでスーパー·モンキーと発します。トルファンです!トルファンでございます!北縁を火焰山にふちどられたオアシス。さながら、すりばちの底のように深くくぼんだ盆地の最低点は、海抜マイナス一五〇メートル。中華なべの底といってもいいでしょう。あついんです。炎をふき出して燃えあがるような赤い山肌の、草一本ない山脈。そう、おいらが、その昔、大活躍した火焰山に、みなさまをご案内しま
Author: え 魯忠民 Year 1988 Issue 12 PDF HTML
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5. 牽牛と織女
陰暦七月七日は、たなばたの星まつりの日。牽牛、織女の二星を祭って、娘たちが手仕事の上達を祈る乞巧節で、年に一度、牽牛と織女が会うことを許される日でもある。むかし、南陽城という町の西に、牛家荘という村があり、かしこくて、まじめで、よく働く、霊児という男の子がいた。この子の両親は早く亡くなり、兄嫁と暮らしていたが、いつも虐待されていた。ある秋、兄嫁は霊児に九頭の牛をおしつけて「放牧に行きなさい。牛が十
Author: 資料提供 薄松年 文 魯忠民 Year 1991 Issue 7 PDF HTML
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6. 雲南省博物館 「牛虎銅案」
紀元前約三〇〇年から同二八〇年の間、楚国の将軍、荘蹻は、軍を率いて雲南に向かった。当時の雲南は、風光明媚だが文化はまだ立ち遅れていた。荘蹻は、現在の昆明の近くにある滇池地区に到達したが、当時はこのあたりに数十の部族が分布しており、すでに青銅器文化の時代に入っていた。「滇」はその中で最大の部族であった。紀元前二八七年、秦国は司馬錯を派遣して楚国の黔中郡を奪取し、荘蹻が楚に帰る道を切断した。このため荘
Author: 文=魯忠民 資料提供=新世界出版社 Year 2004 Issue 1 PDF HTML
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7. 安徽省博物館 「影青蓮瓣注碗」
この磁器を仔細に観察すると、磁器本体の質はきめ細かく、色は純白で、全体に「影青釉」という釉薬がかけられ、滑らかでつやつやしている。「注壺」(酒を入れる壺)の蓋には、生き生きとした獅子の形のつまみが付いている。「注壺」の本体には、腹から足にかけて六つの「瓜楞紋」(カボチャの皮の波形に似た模様)が薄く刻まれている。注ぎ口は長く、取っ手は湾曲している。「注壺」を入れる受け皿は、上向きの六つの花弁を持つ蓮
Author: 文=魯忠民 資料提供=中国画報出版社 Year 2004 Issue 2 PDF HTML
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9. 現代化光と陰
巻頭に紀行文を掲載するのは、本誌にしてはじめてのことです。ベテラン記者として鳴らした筆者の、いわば「悠悠閑閑」の旅。足跡は生まれ故郷の昆明にはじまり、華南、華中へとしるされます。みちみち目にした「改革ただなか」の都市と農村。するどい観察眼が、現代化の光と陰―明るい面と暗い面をとらえます。喜びと憂い、そして希望。それは中国知識人の心の声ともいえるでしょう。思えば多忙な半生だったが、定年でやっと清閑を
Author: 段連城 え·魯忠民 Year 1986 Issue 4 PDF HTML
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10. 北京 城壁裏の胡同を訪ねて
一滴の水も太陽を映すといいますが、北京の小胡同にも、大都市の一般市民の生活が反映されています。 一九七六年に、十年の動乱が終わって、また十年の歳月がながれました。現在の市民生活はどうか、改革の潮流と市民の関係は、市民はいま何をかんがえているかなど、北京の真ん中の東銀糸溝という胡同に行って聞いてみました。 「大胡同三百六,小胡同如牛毛」というほど、北京には胡同が多いのですが、ではどの位かというと、大
Author: 戴徳忠 え·魯忠民 Year 1986 Issue 8 PDF HTML